3年間一度も利用できなかった食堂

次は高校時代について書いていきたいと思います。

それほど受験勉強はしませんでしたが、運良く地元の進学校に入ることが出来きました。 中学校時代の友達も何人か合格しており、知った顔の人もいました。

高校1年の頃は会食恐怖症の症状はかなり落ち着いていたと思います。 高校になって勉強内容もかなり高度になっていたし、5クラスあるうちの選抜クラスに入った(入らされていた)ので、 勉強のことで精一杯だったのが関係してたかもしれません。

高校の修学旅行は、1年がもう終わる頃という1月くらいにありました。はじめて東京や新潟に行きました。 普通だったら中学時代みたいに食事に怯えるところでしたが、記憶がほとんどないほど問題はなかったように思います。 (移動のバスに酔った記憶はあります・・)

高校の昼休みは、今までと同じく相変わらず弁当でした。ただ、中学時代よりはけっこう食べることができていました。

また、1階に食堂があったのですが、ワイワイガヤガヤしており、落ち着いて胃に食べ物を運ぶことができそうになかったので、 3年間一度も利用しませんでした。

いつも弁当持参だったので友達も食堂に誘ってくることはありませんでしたが、 「A定食よりもB定食がうまい」などと耳に入ってくるので、メニューは少し気になりました。

でも、やっぱり全部食べきれそうになかったことと、吐くという恐怖が頭によぎったので食堂に行こうとは微塵も思いませんでした。

高校2年での地獄の調理実習

自分にとって高校時代といえば、必死に勉強していたことと、高校2年の調理実習が苦痛だったこと以外に思い浮かぶことはありません。 小学校時代の紹介ページでも書きましたが、会食恐怖症である私にとって調理実習というのは恐怖以外の何者でもありません。

しかも、回数が1、2回くらいならまだよかったんですが(風邪で休めるから)、計6、7回くらい用意されていました。 食堂すらまともに利用できない私ですから、みんなと顔を合わせて食べるという調理実習は無理に決まっています。

1回目のメニューは確か「炊き込みご飯」みたいなものでした。 班で協力して料理しているときも、私一人だけ憂鬱で憂鬱で仕方ありません。

自分の分をお皿に盛るときは、できるだけ量を少なくするようにしました。 でも、あまりに少なすぎると、周りから不審な目で見られてしまいますので、ある程度は盛らなければなりませんでした。 (本当はおにぎり1個すらちゃんと口に入るか不安なのに・・・)

あと、いつでも気分が悪くなったときに駆け込むことができるように、トイレの位置はしっかり把握しておきました。 「いきなり気分が悪くなっても、トイレで吐くことができる」と思うと、かなり気分が楽になりました。

食事の最中は、私だけ下を向いて黙々とチビチビ食べているような感じでした。 班の人とはほとんど喋ったことがなく、やや体育会系の人だったので、話すこともありませんでした。

1回目はある程度食べることはできました。でも、さすがに全部きれいに食べきるというのは無理で、 茶碗の底に少しだけ残してしまいました。今思うと「それくらい頑張って食べろよ自分」と声をかけてやりたくなりそうです。

食事の後、同じ班の女子が自分の食器を洗っていましたが、少し残した茶碗を見て、別の女子となにかしゃべっていました。 そのとき少し嫌な顔をされていたので、ますます気分が落ち込んでしまいました。

調理実習の日を休むようになる

1回目の調理実習以降、ロールキャベツや竜田揚げなどのメニューがありましたが、 自分は調理実習の当日(家庭科のある木曜日)は休みがちになりました。

家庭科については、調理実習がない普段の授業形式のときだけ出席するという感じです。 授業形式のとき、たまに次回の調理実習のメニューについて班で話しあうこともありましたが、 そのときはものすごい苦痛でした。

「どうせ当日は休むんだろうな」と思われていること必至だったので、 自分は話し合いに参加せずずっと話を聞いていたような感じです。

ただ、あまりに調理実習の日だけ休み過ぎると、先生や周りにいる友だちから不審にみられるので、 たまには出なければなりませんでした。

ただ、自分の班の人には、自分の行動がおかしなことに気づかれていました。 協力して作ったメニューを全部食べないし、黙って嫌そうに食べるし、当日休みがちになるのですから。

班の人には本当に迷惑をかけてしまったと思います。 自分のせいで楽しいはずの調理実習のテーブルをとても暗い雰囲気にしてしまったのですから・・・
会食恐怖症という存在を知った大学生時代

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